稀少な高級品 「聖母の涙」と「ガリアの涙」 愛と悔悛の銀製メダイ 18.8 x 12.6 mm


突出部分を含む全体のサイズ 18.8 x 12.6 mm

フランス  1876年から 1880年頃



 1876年から 1880年頃のフランスで制作されたルルドの聖母のメダイ。打刻による銀製メダイの両面に、融解した無色のガラスを落として固め、涙のような意匠とすることにより、「ガリア(羅 GALLIA フランス)に対する聖母の愛」と「聖母に対するガリアの愛」を象(かたど)っています。

 上部の突出部分には、フランスの銀細工工房を示す菱形のマークとともに、「テト・ド・サングリエ」(tête de sanglier イノシシの頭)が刻印されています。「テト・ド・サングリエ」はモネ・ド・パリ(la Monnaie de Paris パリ造幣局)において 1838年から 1962年まで使用されていたポワンソン(poinçon 貴金属の検質印)で、800シルバー(純度 800/1000の銀)を示します。





 一方の面に刻まれているのは、マサビエルの岩場を蔽うように建てられたルルドのバシリカです。浮き彫りを囲むように「バジリク・ド・ルルド」(Basilique de Lourdes ルルドのバシリカ)と記されています。




(上) ルルドのバシリカ

 フランスで制作された古いメダイには彫刻の細密さに驚かされるものがあり、本品のそのような作品のひとつです。本品の縦のサイズは突出部分を含めても 18.8ミリメートル、横のサイズは 12.6ミリメートルです。文字の高さと主塔の太さはいずれも 1ミリメートルしかありません。このような極小サイズにもかかわらず、建物各部は極めて細密かつ正確に再現され、誰が見ても一見してルルドのバシリカであることがわかる描写となっています。







 フランスのメダイにはエマイユを施した作例が多くあります。エマイユにおいては、フリット(仏 fritte)と呼ばれる粉末ガラスを金属の上に置き、高温の炉内で融解させて、金属を被う均一な厚みのガラス層を形成します。本品は銀をガラスで被っている点がエマイユに似ていますが、フリットを融解しさせて銀に固着させたのではなく、水あめ状に融けた高温のガラスをそのまま銀製メダイに載せています。成分を調節して粘度を上げたガラスは、表面張力によってメダイ上に盛り上がり、あたかも聖母の涙のように見えます。




(上) カニヴェ 「フランスの不信仰と破滅を嘆くラ・サレットの聖母」 (シャルル・ルタイユ 図版番号 408) 123 x 80 mm 1877年 当店の商品です。


 上の写真は本品と同時期に制作されたカニヴェで、元の持ち主であった女性により、1877年の年号が書き込まれています。十九世紀のフランスでは聖母の出現が多く起こりましたが、なかでも 1858年にルルドで起こった聖母出現は最大の事件でした。また 1871年にはポンマンで聖母が出現しています。しかるにこのカニヴェは、1870年代という制作時期にかかわらず、また普仏戦争をテーマとするにもかかわらず、「ルルドの聖母」でも「ポンマンの聖母」でもなく、半ば忘れられていた「ラ・サレットの聖母」を大きく取り上げています。

 1846年9月19日、フレンチ・アルプスの山村ラ・サレットに出現したマリアは、牛飼いの子供二人に対して預言を残し、天に帰ってゆきました。聖母の預言とは、フランスの人々が不信心と罪を悔い改めないならば恐ろしい神の裁きに遭うということ、もしも人々が悔い改めないならば、イエスの腕が振り下ろされるということ、イエスの腕は強くて重く、自分(聖母)には支えきれないということでした。これらの預言を語るとき、聖母は涙を流しておられました。

 普仏戦争の際、プロシア軍によるパリ攻囲は 1870年9月19日に始まりました。この日はまさにラ・サレットにおける聖母出現の記念日であり、信仰深い人たちの目から見れば、神とキリストがプロシア軍を使ってフランスを懲らしめ給うたことは明らかだと思われました。





 銀のメダイに無色のガラスを被せた本品の作りにも、見た目の美しさ以上の深い意味があります。本品は聖母が流し給う愛の涙であり、フランス国民が流す悔悛の涙です。ルルドのバシリカが建てられたのは、普仏戦争の敗戦から間もない 1876年ですが、本品もこれとほぼ同時期に作られたものと思われ、「悔悛のガリア」(羅 GALLIA PŒNITENS)における信心具制作を優れて代表する作例となっています。





 もう一方の面にはマサビエルの岩場に出現したルルドの聖母と、ロザリオを手に跪く少女ベルナデット・スビルーを浮き彫りにし、これを囲むようにフランス語で「我は無原罪の御宿りなり」(Je suis l'Immaculée Conception.) と記しています。

 この面の下部はガラスの表面が剥がれるように欠損し、銀製メダイの最下部が縦 1ミリメートル弱、横 2ミリメートル弱に亙って露出しています。この欠損によって、切り傷等の原因になるような鋭利な箇所は生じていません。またメダイからのガラスの剥離が現状以上に進行することもありません。ご安心ください。




(上) 1890年代初頭のカニヴェ 「汚れ無き純潔の百合、マリアよ」(ラマルシュ 図版207) 113 x 73 mm 当店の商品です。


 「無原罪の御宿り」(羅 IMMACULATA CONCEPTIO 仏 l'Immaculée Conception)は「原罪を引き継ぐことなく受胎された子供」という意味で、聖母マリアを指しています。「無原罪の御宿り」の思想を大成したのは十三世紀のスコラ学者ドゥンス・スコトゥス (Ioannes Duns Scotus. 1266 - 1308) で、ルルドの聖母出現の四年前にあたる 1854年に、教皇ピウス九世により、カトリック教会の正式な教義であることが宣言されました。

 ベルナデット・スビルーが幻視したのは高貴な様子の少女でしたが、それが誰であるのかベルナデットには分からず、たびたび名を尋ねても少女は微笑むだけで答えませんでした。しかしながら 1858年3月25日、少女が十六回目に出現した際、ベルナデットが四回繰り返して名を尋ねると、少女は微笑むのを止めて目を天に向け、下ろしていた両手を胸の前で組んで、「我は無原罪の御宿りなり」と答えたのでした。ベルナデットがこの出来事をルルドの司祭に伝えたとき、司祭は驚愕しました。「無原罪の御宿り」などと言う神学の用語を、無教育のベルナデットが知っているはずがなかったからです。





 ルルドの聖母のメダイ自体は珍しくありませんが、ほとんどすべてが金属片を打刻しただけの作例です。しかるに本品は銀製メダイの両面に高温のガラスを融着させています。

 銀は信心具に使われる最高級の素材です。また融解したガラスを小さなメダイに載せるのは、熟練を要する危険で困難な作業です。最高の素材を使い、困難な工程を経て作られた本品には、地上の罪びとを愛するゆえに心を痛め、涙を流し給うた聖母に対して最も善きものを捧げたいという気持ちが籠められています。

 本品はフランスを愛し給う聖母の涙であるとともに、「聖母への愛」と「心からの悔悛」を表すガリア(フランス)の涙でもあります。本品の二つの面のうち、聖母出現の面が「聖母の涙」を、バシリカの面が「ガリアの涙」を表していると考えることもできます。二つの涙は本品において重なり合い、混じり合い、清澄な「生命の泉」となってルルドに湧き出しています。神は聖母の執り成しにより、ガリアの悔恨を嘉(よみ)し給うことでしょう。





本体価格 16,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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